思考と情報の片づけで仕事と暮らしの仕組みづくりをサポートする
DSlowLifeまるもかよ です。
昨日は3月11日。東日本大震災から9年です。
私にとってこの震災は、情報に溺れるという初めての体験をして、情報との関わり方を大きく変えるできごとでした。
あの日、あのとき、何をしていましたか?
わたしは大阪府豊中市で確定申告提出の後、気になっていた喫茶店でランチを食べて帰宅して、ホッと一息ついたら地震を感じました。
地震に鈍い私が感じるくらいだから、近いのかなと思ってテレビをつけたら、震源は遠い三陸沖で、ただならない雰囲気が漂う中、津波の報道。見たこともない映像に理解できないショックを受けました。
すぐに気になったのは、リアルだったりブログで知り合った人だったり、被災したかもしれない方々の安否。
当時使っていたSNSはTwitterで、Twitterには刻々と様々な情報が流れてきます。
知り合いの安否情報を求めるもの、ご自身の現状、避難所の情報、物資提供の情報、被害状況、ライフラインの状況、そしてデマ…
毎日、毎日、刻々と大量の情報が溢れていました。
わたしは大阪でただ大量の情報に溺れそうになっていただけで、何もしてない、被災もしてない、不便もなくそれまで通り暮らしているのに、心も身体もヘトヘトでした。
知れば安心ではない。本当のことでも不安になる。
東日本大震災は、わたしには情報との付き合い方の転機となるできごとでした。
知らないことが不安なら知ればいい、そのためには情報収拾だ!というのが、それまでのわたしの常識だったように思います。
でも、実際には、情報が本当だろうと嘘だろうと、不安になるし振り回されました。科学的で論理的な裏付けがあったり、公の発表だったり、信じられる情報だとしても、知れば知るほど不安になるという状態に陥って、結局、意識して情報から離れることで不安が薄れていきました。
知れば不安が減ると思っていたのに、おかしな話です。
それまでの自分の常識が通用しなくなり、自分が情報とどう付き合っているのか気になるようになりました。
自分に使える情報は疲れない。3つの基準で付き合う情報を決める
そうして気づいたのは、情報に振り回されないために重要なのは情報の真偽ではなく、得た情報を自分が思ったように使えているかどうかだということです。
自分がどう感じるのか何をするのか、そういう自分を望んでいるのかを考えて、情報を使うかスルーするかを決めると、情報との付き合いが楽になりました。
一言でいえば、情報を手にしたらちょっと考える癖をつけるということです。
考える癖をつけるには考える基準を持っておくとやりやすいです。
今のわたしの基準は3つです。
- 自分に起きている問題を解決するために自分にできることか?
- 興味関心を駆り立てられることか?
- 感動することか?(好き・かわいい・笑える・泣ける…)
情報よりも自分が大事。
自分に効く情報を選んで付き合いましょう。